気候変動リスク時代における地熱発電の戦略的意義:日本のエネルギー安全保障の視点から
はじめに
近年、気候変動による異常気象の頻発や激甚化は、世界のエネルギーシステムに新たなリスクをもたらしています。供給網の途絶、インフラの損傷、需要変動の拡大など、これらのリスクは各国のエネルギー安全保障に直接的な影響を与えかねません。このような状況下で、日本のエネルギー安全保障を強化するためには、気候変動リスクに対するレジリエンス(強靭性)の高いエネルギー源の役割を再評価し、そのポテンシャルを最大限に活用することが重要となります。
本稿では、気候変動リスクが増大する時代における地熱発電の戦略的な意義に焦点を当てます。地熱発電が持つ特性が、気候変動による様々な影響に対してどのように有効であるかを分析し、日本のエネルギー安全保障強化に向けた政策的示唆を提示いたします。
気候変動リスクがエネルギー安全保障に与える影響
気候変動は、エネルギーシステムの脆弱性を高める複数のリスクを内在させています。
- 物理的リスク: 異常な高温・低温による電力需要の急増、台風や洪水による送配電網や発電所の損傷、干ばつによる水力発電への影響、海水温上昇による火力・原子力発電所の冷却問題などが挙げられます。これらの事象は、電力供給の途絶や不安定化を招き、経済活動や国民生活に深刻な影響を与える可能性があります。
- 移行リスク: 気候変動対策としての化石燃料からの脱却(移行)に伴うリスクも存在します。再生可能エネルギーへの大規模な転換は、天候に左右される電源の比率を高め、電力系統の安定化に新たな課題をもたらす可能性があります。また、化石燃料供給国の政情不安や地政学的な変動も、エネルギー安全保障上のリスク要因となります。
これらのリスクは複合的に発生しうるため、従来のエネルギー安全保障の概念に加え、気候変動に対するシステムの適応力とレジリエンスを強化する視点が不可欠となっています。
地熱発電の特性と気候変動リスクへのレジリエンス
地熱発電は、他の再生可能エネルギー源と比較して、気候変動リスクに対して固有の強靭性を持っています。
- 天候依存度の低さ: 地熱発電は地下の熱資源を利用するため、日照時間や風速といった地上の気象条件にほとんど左右されません。これにより、異常気象時においても安定した電力供給が可能であり、電力系統全体のレジリエンス向上に貢献します。
- ベースロード電源としてのポテンシャル: 適切な資源があれば、24時間365日稼働が可能です。これは、変動性の高い再生可能エネルギーの導入拡大が進む中で、電力系統の安定供給を支えるベースロード電源としての地熱発電の重要性を高めます。気候変動による需要変動や他の電源の供給不安定化リスクに対し、安定した供給基盤を提供できます。
- 地域分散型電源としての側面: 地熱資源は日本国内に広く賦存しており、開発地点は比較的地域に分散する傾向があります。これは、大規模災害等による中央集権型電源や送電網への被害が発生した場合でも、地域の電力供給を維持する上で有効な特性です。エネルギー供給の分散化は、安全保障強化の重要な要素の一つです。
気候変動適応策としての地熱発電の戦略的意義
気候変動リスクが増大する現代において、地熱発電は単なる再生可能エネルギー源としてだけでなく、エネルギー安全保障上の戦略的意義を持つようになります。
- 供給安定性の確保: 異常気象による供給途絶リスクに対し、天候に左右されない地熱発電は安定供給に貢献します。特に、再生可能エネルギーの主力化が進む中で、その変動性を補完し、系統全体のレジリエンスを高める役割が期待されます。
- エネルギーミックスの強靭化: 化石燃料依存からの脱却と同時に、気候変動に強い国産のエネルギー源である地熱発電を組み込むことは、エネルギーミックス全体の多様化と強靭化に繋がります。これは、特定の燃料供給リスクや単一の発電方式への脆弱性を低減します。
- 自給率向上と地政学リスク低減: 日本の地熱資源は世界でも有数の規模であり、これを活用することはエネルギー自給率の向上に直結します。輸入燃料への依存度を下げることは、国際情勢の不安定化がもたらすエネルギー供給リスクに対する有効な対策となります。
- 地域経済との連携: 地熱発電開発は、地域における雇用創出や温泉熱の多目的利用(農業、観光、融雪など)と結びつけることで、地域経済の活性化に貢献する可能性があります。地域社会の持続可能性を高めることは、エネルギーシステム全体のレジリエンスを間接的に強化する要素となりえます。
開発における課題と気候変動適応の視点
地熱発電開発には、気候変動リスクへの適応の観点からも考慮すべき課題が存在します。
- 開発期間の長期化と初期コスト: 地熱開発は探査から運転開始まで長期間を要し、初期投資コストも大きいという課題があります。気候変動リスクの増大により、開発期間中に予期せぬ環境変化や災害が発生する可能性もゼロではありません。リスク評価に気候変動シナリオを組み込むことが重要になります。
- 環境影響と地域合意形成: 地熱開発に伴う自然環境への影響(地下水系、温泉への影響など)への懸念は、地域合意形成における重要な論点です。気候変動による水循環の変化や地温への影響の可能性を考慮に入れた、より精密で長期的な環境影響評価やモニタリング体制の構築が求められるかもしれません。地域住民との対話においては、気候変動リスクの増大が、安定的な国産エネルギー源としての地熱発電の意義をどのように高めているか、という視点も共有されるべきです。
- 気候変動による資源への影響の不確実性: 長期的に見て、気候変動が地熱資源そのもの(例:地下深部の温度・圧力分布、流体の循環パターンなど)にどのような影響を与えるかについては、現時点では不確実な部分も多いと考えられます。継続的なモニタリングと研究開発が必要です。
政策的示唆
気候変動リスク時代において地熱発電の戦略的意義を最大限に引き出すためには、以下の政策的な方向性が考えられます。
- 気候変動適応計画への地熱発電の位置づけ強化: 国および自治体の気候変動適応計画において、安定供給源としての地熱発電の役割を明確に位置づけ、開発を促進するための具体的な施策を検討する。
- 開発リスク低減のための支援強化: 探査段階におけるリスクの高い初期投資に対する支援、長期的な環境モニタリング体制の構築支援、気候変動リスクを考慮した環境アセスメント手法の研究・普及などを行う。
- 地域社会との連携促進と情報提供: 気候変動リスクの観点を含めた地熱発電のメリット・デメリットに関する客観的で科学的な情報を地域社会に分かりやすく提供し、継続的な対話と合意形成プロセスを支援する。地域における気候変動適応策の一環として地熱の多目的利用を促進する施策も有効と考えられます。
- 次世代技術の研究開発支援: EGS(強化地熱システム)やCO2地熱発電など、気候変動の影響を受けにくく、かつ開発ポテンシャルの高い次世代技術に関する研究開発への投資を加速させる。
- 国内外の知見共有と連携: 気候変動下での地熱開発に関する国内外の最新知見や事例を収集・分析し、政策や技術開発に活かす。国際的な連携を通じて、より効果的な気候変動適応策としての地熱発電の活用手法を探求する。
結論
気候変動リスクが現実のものとなり、エネルギー安全保障に対する脅威が増大する現代において、地熱発電は単なる低炭素電源というだけでなく、その固有のレジリエンスによって戦略的な意義を持つ存在となっています。天候に左右されない安定性、ベースロード電源としてのポテンシャル、地域分散型の特性は、気候変動による供給途絶や不安定化リスクに対する有効な対抗手段となり得ます。
日本のエネルギー安全保障を強化するためには、地熱発電が持つ気候変動リスクへの強靭性という側面を政策立案においてより重視し、開発促進に向けた課題克服のための包括的なアプローチを講じることが不可欠です。技術開発、環境影響評価、地域合意形成、そして資金調達に至るまで、気候変動適応の視点を組み入れた政策の推進が、来るべき気候変動リスク時代における日本のエネルギー安全保障の確保に貢献するものと考えられます。