エネルギー安全保障強化に向けた地熱発電開発:多様なステークホルダー間における効果的な調整メカニズム構築の重要性
はじめに
日本のエネルギー安全保障は、地政学的リスクや資源供給の不確実性、さらには気候変動対応の必要性など、複数の要因によってその強化が喫緊の課題となっています。こうした状況において、国内に豊富に賦存する再生可能エネルギー資源である地熱は、そのベースロード電源としての高いポテンシャルから、エネルギー自給率向上と危機克服に貢献しうる重要な選択肢として注目されています。しかしながら、地熱発電開発には、技術的課題のみならず、多様なステークホルダー間の利害調整や合意形成という社会的な課題が伴います。本稿では、エネルギー安全保障強化という観点から、地熱発電開発を推進する上で不可欠となる、多様なステークホルダー間における効果的な調整メカニズムの構築の重要性、現状の課題、そして政策的なアプローチについて考察を進めます。
地熱発電開発における主要なステークホルダーとその関心
地熱発電の開発プロセスには、国(経済産業省、環境省、文化庁など)、地方自治体、開発事業者(電力会社、専門開発会社など)、地域住民、温泉事業者、環境保護団体など、多岐にわたるステークホルダーが関与しています。それぞれのステークホルダーは、地熱開発に対して異なる立場や関心を有しています。
- 国: エネルギー安全保障、脱炭素化、経済成長、地域振興といったマクロな視点から開発を推進する立場です。規制や支援制度の設計・運用を担います。
- 地方自治体: 地域経済への貢献、雇用創出、税収増に期待を寄せる一方で、環境保全、景観維持、住民生活への影響、地域合意形成といった課題への対応が求められます。
- 開発事業者: 経済合理性に基づいた開発計画の立案・実行、技術的リスク管理、資金調達などを担います。事業の実現性と収益性を重視します。
- 地域住民: 開発による生活環境への影響(騒音、振動、景観変化)、安全性の確保、地域への経済的還元、自然環境への配慮などを主な関心とします。
- 温泉事業者: 地熱開発が温泉資源量や泉質に与える影響を最も懸念します。温泉事業の存続に関わるため、開発に対する慎重な姿勢をとる場合が多く見られます。
- 環境保護団体: 開発が国立公園などの自然保護区や生物多様性に与える影響に関心を持ち、環境保全の観点からの情報公開やアセスメントの徹底を求めます。
これらのステークホルダーは、それぞれ正当な立場から地熱開発に関わっていますが、その関心や優先順位が異なるため、開発プロセスにおいてしばしば利害対立や認識の隔たりが生じます。
ステークホルダー間調整における課題
日本の地熱発電開発が直面する主要な課題の一つは、これらの多様なステークホルダー間の複雑な調整プロセスです。特に、以下のような点が円滑な調整を妨げる要因となっています。
- 情報の非対称性: 開発事業者や専門家が有する技術的・地質学的情報と、地域住民や温泉事業者がアクセスできる情報量や理解度に大きな隔たりがある場合があります。これが不信感や懸念を増幅させる要因となります。
- 利害の対立: 地熱開発による地域への経済効果と、温泉資源への潜在的な影響、環境保全の要求など、異なる利害が直接的に衝突することがあります。
- 合意形成プロセスの複雑さ: 関係するステークホルダーが多く、それぞれの意見を集約し、共通理解を形成するプロセスは時間と労力を要します。特に、地域社会内での意見の多様性や、過去の経緯による不信感などが影響する場合もあります。
- 既存規制・制度との整合性: 温泉法、自然公園法、文化財保護法など、地熱開発に関連する既存の法制度や規制が複数存在し、これらの解釈や適用を巡る調整が必要となる場合があります。特に、温泉事業者との調整においては、温泉法の枠組みにおける権利関係の整理が論点となることがあります。
これらの課題が複合的に絡み合うことで、調査・開発許可の取得に長期間を要したり、計画の頓挫につながったりするケースが見られます。これは、エネルギー安全保障強化に向けた迅速な地熱導入を阻害する要因となっています。
効果的な調整メカニズム構築に向けたアプローチ
ステークホルダー間の円滑な調整は、地熱開発を加速し、エネルギー安全保障強化に貢献するために不可欠です。効果的な調整メカニズムを構築するためには、以下のようなアプローチが考えられます。
- 情報共有と透明性の向上: 開発の初期段階から、計画内容、予想される影響(温泉資源、環境、地域生活)、安全対策などに関する正確かつ分かりやすい情報を、全てのステークホルダーに対して積極的に開示することが重要です。第三者機関による客観的な調査結果の提供や、オープンな対話の場(説明会、ワークショップなど)を設けることが有効です。
- 参加型プロセスの導入: 開発計画の策定や評価プロセスにおいて、地域住民や関係者が意見を表明し、開発のあり方に影響を与えることができる仕組みを導入します。例えば、地域協議会の設置や、開発による地域への貢献策について共に検討する機会を設けることなどが考えられます。
- 適切な補償・還元制度の設計: 開発による潜在的なリスク(例: 温泉資源への影響)に対する適切な補償メカニズムや、開発利益の一部を地域に還元する仕組み(例: 売電収入の一部を地域振興に充てる、固定資産税収入の活用など)を明確に設計し、合意形成の要素とすることが重要です。これにより、地域社会が開発のメリットを享受できる構造を作ります。
- 多省庁連携によるワンストップ窓口の検討: 地熱開発に関連する許認可手続きは複数の省庁にまたがるため、手続きの複雑さが開発事業者の負担となり、地域にとっても分かりにくさを生じさせています。国において、関連省庁間の連携を強化し、手続きの一元化や共通の相談窓口を設けることで、調整プロセスを効率化できる可能性があります。
- 先行事例からの学び: 国内外における地熱開発の成功・失敗事例を詳細に分析し、ステークホルダー調整の観点からどのようなアプローチが有効であったか、あるいは課題となったかを明らかにすることは、今後の開発における貴重な知見となります。特に、地域社会や温泉事業者との良好な関係を築きながら開発を進めている事例(例: 海外のコミュニティエンゲージメントの取り組み)からは多くの示唆が得られます。
政策的示唆
エネルギー安全保障の観点から地熱発電開発を加速するためには、ステークホルダー間の効果的な調整を促す政策的介入が不可欠です。具体的には、以下のような政策的アプローチが考えられます。
- 地域合意形成プロセスに関するガイドラインの策定・普及: 国が、地熱開発における標準的な地域合意形成プロセスや、情報公開・対話のあり方に関するガイドラインを策定し、開発事業者や自治体に対してその活用を促すこと。
- 中立的な立場からの情報提供・仲介機能の強化: 第三者機関や専門家チームが、開発事業者、地域社会、温泉事業者などの間で、技術的情報に関する分かりやすい説明を提供したり、対話の仲介役を担ったりする機能を強化するための支援。
- 地域への経済的メリットを確実にする制度設計: FIT制度の地域活用要件の見直しや、開発に伴う税収の一部を地熱関連の地域振興基金に充てる仕組みなど、地域が地熱開発から直接的な経済的恩恵を受けられる制度をより明確にすること。
- 温泉資源影響評価技術の研究開発支援と標準化: 温泉資源への影響をより正確に予測・評価するための技術開発を支援し、評価手法の標準化を進めること。これにより、評価結果の信頼性を高め、温泉事業者の懸念払拭につなげます。
- 地熱開発関連法規の包括的な見直し検討: 地熱開発を円滑に進める上で、既存の温泉法や自然公園法などとの整合性や適用に関する課題を整理し、必要に応じて法制度の包括的な見直しを検討すること。
これらの政策的介入は、開発プロセスにおける不確実性や摩擦を低減し、ステークホルダー間の信頼関係構築を支援することで、結果として地熱開発の迅速化に繋がり、日本のエネルギー安全保障強化に貢献するものと考えられます。
結論
日本のエネルギー安全保障強化において、地熱発電はその国内資源としてのポテンシャルから重要な役割を担いうる電源です。しかしながら、その開発は多様なステークホルダー間の複雑な調整プロセスを伴います。情報の非対称性、利害対立、合意形成の困難さ、既存規制との整合性といった課題を克服するためには、情報共有の透明化、参加型プロセスの導入、適切な地域還元・補償制度の設計、多省庁連携の強化、そして先行事例からの学びといった多角的なアプローチが必要です。国によるガイドライン策定、中立的支援機能の強化、地域還元制度の明確化、技術評価の標準化、法制度の見直し検討などの政策的な取り組みは、これらの調整メカニズムの効果的な構築を後押しし、地熱開発の加速を通じて日本のエネルギー自給率向上と危機克服に大きく貢献するものと期待されます。今後、これらの政策的課題に対する具体的な議論と実行が求められています。