日本のエネルギー安全保障と地熱発電:政策・規制環境の現状と今後の方向性
はじめに
日本のエネルギー自給率は低水準にあり、地政学的リスクの増大に伴い、エネルギー安全保障の確保は喫緊の課題となっています。国内に賦存する豊富な地熱資源は、純国産のベースロード電源として、このエネルギー安全保障の強化に大きく貢献するポテンシャルを秘めています。しかしながら、地熱発電開発は長期にわたる探査、許認可、地域との調整など、他の電源開発にはない複雑なプロセスを伴います。特に、開発を規定する政策・規制環境は、その成否を左右する重要な要素となります。
本稿では、日本のエネルギー安全保障強化という観点から、地熱発電開発を取り巻く政策・規制環境の現状を整理し、開発促進に向けた主要な課題を分析します。さらに、これらの課題克服に向けた政策的な方向性について考察を加えることで、今後の地熱発電普及拡大に向けた示唆を提供することを目指します。
日本における地熱発電開発と政策・規制の変遷
日本は世界でも有数の火山国であり、豊かな地熱資源を有しています。地熱発電は古くから研究開発が進められ、1966年には初の商業運転が開始されました。しかし、その後の開発は、環境保護(国立公園内への立地制限など)、温泉資源との調整、初期投資の高さといった課題により、必ずしも順調に進んだわけではありませんでした。
特に、国立公園特別地域内の開発規制や、温泉法に基づく掘削許可手続き、そして何よりも地域、特に温泉事業者との合意形成が、開発の大きな障壁となってきました。これらの課題に対し、過去には資源調査の推進や技術開発支援などの政策が講じられてきましたが、規制そのものの抜本的な見直しには時間を要しました。
転機の一つとなったのは、2011年の東日本大震災とその後のエネルギー政策の見直しです。再生可能エネルギーの導入拡大が強く意識される中で、地熱発電の重要性があらためて認識されました。固定価格買取制度(FIT制度)の導入や、国立公園法、温泉法、電気事業法などの関連法規の改正、環境アセスメント手続きの効率化に向けた検討などが進められ、地熱開発に対する政策的な後押しが強化されてきました。
現状の政策・規制環境と主要な課題
現在の日本の地熱発電開発を取り巻く主要な政策・規制環境は、以下の要素を含んでいます。
- 固定価格買取制度(FIT制度): 開発事業者にとって長期的な事業予見性を高める重要な支援策です。地熱に関しては、規模や開発段階に応じた買取価格が設定されています。
- 関連法規とガイドライン:
- 国立公園法: 国立公園特別地域内における地熱開発の規制緩和が進み、一定の条件下での開発が可能となりました。
- 温泉法: 温泉資源保護との両立を図るため、温泉利用への影響評価や調整に関する手続きが定められています。
- 電気事業法: 発電事業全般に関わる法規であり、地熱発電所も対象となります。
- 環境影響評価法: 一定規模以上の地熱発電所設置には環境アセスメントが義務付けられています。手続きの長期化が課題として指摘されています。
- 鉱業法: 地熱資源の開発は鉱業権と関連する場合があり、手続きが複雑になることがあります。
- 地域との合意形成: 法的な規制だけでなく、地域住民や温泉事業者との円滑なコミュニケーションと合意形成に向けたガイドラインや協議会の設置などが推奨されています。
これらの政策・規制が進展した一方で、依然として多くの課題が存在します。
- 開発長期化と手続きの煩雑さ: 探査から運転開始まで10年以上の期間を要することが一般的です。これは、複数の法律や規制に基づく許認可手続き、環境アセスメント、地域との協議などが並行して進行し、かつ個別の地点で状況が大きく異なるためです。手続きの一層の合理化・迅速化が求められています。
- 温泉地域との調整: 地熱開発と温泉資源保護の両立は依然としてデリケートな問題です。科学的な影響評価手法の確立と、地域が納得できる形での利益分配や共存モデルの構築が不可欠です。
- 初期投資リスクと金融支援: 地熱開発、特に探査・掘削段階は高い初期投資とリスクを伴います。公的なリスクマネー供給や、金融機関が投融資しやすい環境整備が十分とは言えません。
- 人材育成: 専門的な知識・技術を持つ人材(探査技術者、掘削技術者、地域調整担当者など)の育成と確保が喫緊の課題です。
エネルギー安全保障への貢献を高めるための政策的な方向性
これらの課題を克服し、地熱発電のエネルギー安全保障への貢献度を高めるためには、政策・規制面でのさらなる対応が必要です。
- 許認可手続きの抜本的な効率化とワンストップ化の検討: 関係省庁間、国と自治体間の連携を強化し、地熱開発に特化した統合的な許認可プロセスを構築することで、手続きの透明化と迅速化を図ることが考えられます。
- 温泉地域との共生モデル構築と支援策の強化: 温泉利用への影響を最小限に抑える技術開発の支援に加え、地熱発電収益の一部を地域に還元する仕組み(例えば、熱利用の促進、雇用創出、財政支援など)を具体的に提案・支援することが重要です。また、科学的なデータに基づいた正確な情報提供と、地域住民の懸念を丁寧に聞き取る対話プロセスを強化する必要があります。
- 探査・掘削リスク低減のための公的支援拡充: 探査段階における地質調査データ整備への公的関与、掘削失敗時のリスクをカバーする保険制度や融資制度の導入・拡充など、初期リスクを軽減するための支援策を強化することが考えられます。アイスランドやニュージーランドなどの海外事例が参考になるかもしれません。
- 地熱版デューデリジェンス体制の整備: 金融機関が地熱開発プロジェクトのリスクを適切に評価できるよう、標準的な評価手法やデータプラットフォームを整備することで、民間資金の導入を促進する環境を作る必要があります。
- 人材育成プログラムの強化: 大学や研究機関と連携し、地熱エネルギー開発に必要な多分野にわたる専門知識を持つ人材を体系的に育成するプログラムを構築・支援することが重要です。
これらの政策的な取り組みを進めることは、地熱発電の安定的な開発・導入を促進し、結果として日本のエネルギー自給率向上とエネルギー安全保障の強化に直接的に寄与することになります。
結論
日本の地熱資源は、エネルギー安全保障の観点から極めて重要なポテンシャルを有しています。これまで政策・規制環境は開発促進に向けた改善が進められてきましたが、長期化する開発プロセス、温泉地域との調整、初期投資リスクといった課題は依然として克服すべき大きな壁となっています。
これらの課題に対し、許認可手続きの効率化、温泉地域との共生モデル支援、初期リスク低減のための公的支援、そして人材育成といった多角的な政策対応をさらに強化することが求められています。政策・規制環境の継続的な見直しと改善を進めることで、日本の地熱発電開発は加速し、エネルギー自給率向上と持続可能なエネルギー供給体制の構築に大きく貢献することが期待されます。政策立案にあたっては、国内外の知見やデータに基づき、これらの課題に包括的に対応していく視点が不可欠であると考えられます。