日本のエネルギー安全保障強化に資する地熱発電開発:主要法規制(温泉法、自然公園法等)に起因する課題と政策的対応
はじめに:エネルギー安全保障における地熱発電の戦略的重要性と開発課題
日本のエネルギー安全保障を強化し、持続可能なエネルギーシステムを構築する上で、国内に豊富に存在する地熱資源を活用した地熱発電への期待は高まっています。地熱発電は、気象条件に左右されにくいベースロード電源としての特性や、燃料価格変動リスクが低いといった利点を有し、エネルギー自給率向上に大きく貢献しうるポテンシャルを秘めています。しかしながら、そのポテンシャルに対し、国内の開発は期待されたほど進展しているとは言えない現状があります。開発を阻む要因は複数ありますが、その中でも、温泉法や自然公園法といった既存の法規制、およびそれに起因する制度的・社会的な課題は、地熱開発を計画・推進する上で乗り越えるべき主要なハードルの一つとして認識されています。
本稿では、日本のエネルギー安全保障強化に資する地熱発電開発の促進に向け、主要な法規制が開発にもたらす具体的な課題を整理し、それらに対する現在の政策的対応や今後の方向性について考察します。
地熱発電開発に影響を与える主要法規制
日本の地熱資源の多くは、活火山地域や温泉地帯に集中しており、これらの地域は同時に豊かな自然景観や生態系を有する場所でもあります。この地理的特性から、地熱発電開発は複数の既存法規制と密接に関わります。
温泉法(昭和23年法律第125号)
温泉法は、温泉の保護および利用の適正化を図ることを目的としています。地熱発電開発において掘削や熱水の利用を行う場合、温泉資源への影響が懸念されることが少なくありません。同法に基づく温泉源の保護規定は、地熱開発地点周辺の温泉事業者や地域住民との間で、開発が温泉の湧出量や成分に与える影響を巡る懸念や対立を生じさせる要因となることがあります。開発事業者は、温泉源への影響評価を実施し、地域との協議を通じて理解を得る必要があり、これが開発期間の長期化やコスト増につながることがあります。
自然公園法(昭和32年法律第161号)
日本の地熱資源の約8割が、国立・国定公園内に存在すると言われています。自然公園法は、優れた自然の風景地を保護し、その利用の適正化を図ることを目的としており、公園の区域内では行為規制が定められています。特に、国立公園の特別保護地区や特別地域では、建築物の新築や土地の形状変更等が厳しく制限されており、大規模な地熱発電所の設置が困難な場合があります。公園区域内での開発は、環境アセスメントに加え、景観や生態系への配慮が厳しく求められ、これもまた開発の制約要因となります。
その他の関連法規
上記以外にも、森林法(開発行為の制限)、文化財保護法(埋蔵文化財包蔵地での開発制限)、土壌汚染対策法(特定有害物質による汚染対策)、環境アセスメント法(環境影響評価手続き)など、複数の法規が地熱発電開発に影響を与えます。これらの法規に基づく手続きや規制遵守は、開発事業者に時間的・経済的な負担を課します。
法規制・制度的課題が開発にもたらす影響
これらの法規制やそれに付随する制度運用は、地熱発電開発に以下のような影響をもたらしています。
- 開発期間の長期化と不確実性の増大: 探査段階から許認可、地域合意形成、環境アセスメント、そして温泉源への影響評価に至るまで、関係省庁、地方自治体、地域住民、温泉事業者など多様なステークホルダーとの調整に時間を要し、開発開始から運転開始までのリードタイムが極めて長くなる傾向があります(例:10年〜15年以上)。複数の手続きが並行せず、段階的に進むことも長期化の一因です。
- 開発コストの増加: 長期化に伴うコスト増や、厳格な環境・温泉影響評価のための調査費用、さらには地域貢献策への投資などが、開発コストを押し上げ、事業採算性に影響を与えます。
- リスクの増大: 手続きの長期化や不確実性は、事業計画のリスクを高め、新規参入や民間投資を躊躇させる要因となります。
- 地域合意形成の複雑化: 特に温泉地域や国立・国定公園周辺地域では、地域住民や既存の権利者との間で開発の是非を巡る議論が起こりやすく、円滑な合意形成が困難な場合があります。
政策的対応の現状と課題
日本政府は、地熱発電の重要性を認識し、これらの課題に対し様々な政策的対応を進めています。
- 規制緩和の試み:
- 自然公園法に関しては、利用調整地区の導入や、公園区域の見直しを通じて、景観・生態系への影響を最小限に抑えつつ開発を可能とするための検討や試行が行われています。
- 温泉法に関しても、地熱開発と温泉保護の両立に向けたガイドラインの策定や、影響評価手法の標準化などが進められています。
- 手続きの合理化・迅速化: 関係省庁間の連携強化や、環境アセスメント手続きの一部効率化に向けた検討も進められています。
- 地域との共生促進: 開発初期段階からの地域住民への情報提供、説明会の開催、地域貢献事業(売電収益の一部還元、地域への熱供給など)の促進など、地域との良好な関係構築を支援する施策が講じられています。
しかしながら、これらの政策的対応も、十分な効果を発揮するには至っていない側面があります。例えば、規制緩和は限定的であること、手続きの迅速化にはさらなる横断的な連携が必要であること、地域合意形成の成功事例の横展開が十分ではないことなどが課題として挙げられます。
エネルギー安全保障強化に向けた今後の政策的アプローチ
日本のエネルギー安全保障強化に資する地熱発電開発を加速するためには、既存の法規制・制度的課題に対し、より大胆かつ実効性のある政策的アプローチが求められます。
- 法制度の更なる合理化と明確化:
- 自然公園内での開発について、環境保全と両立しうる開発手法(例:集約型開発、小規模分散型開発、坑口に近い場所での発電など)に応じた具体的な許認可基準を明確化し、予測可能性を高めることが重要です。
- 温泉法に関しては、科学的な影響評価に基づき、地熱発電と温泉利用の共存を可能とするための、より明確なルールや基準を策定することが求められます。影響評価手法の精度向上と標準化、データ共有メカニズムの構築も有効と考えられます。
- 地域との対話促進と情報公開の強化:
- 開発初期段階からの透明性の高い情報公開と、地域住民、温泉事業者、専門家等を交えた継続的な対話プラットフォームの構築を政策的に支援することが不可欠です。地域が地熱開発によるメリット(雇用創出、地域熱利用、観光振興など)を具体的に認識し、共有できるような仕組みづくりが必要です。
- 海外の先進事例(例:アイスランド、ニュージーランドなど)における地域共生モデルや合意形成プロセスを参考に、日本に適したモデルを構築することも示唆に富みます。
- 手続きの一元化・簡素化:
- 複数の法規に跨る複雑な許認可・アセスメント手続きを、可能な限り一元化または連携を強化し、事業者の負担を軽減し、リードタイムを短縮する仕組みを構築することが検討されるべきです。
- 多目的利用促進に向けた制度設計:
- 地熱発電に伴う熱水を農業、漁業、地域暖房、観光等に利用するカスケード利用は、地域経済活性化に貢献し、地域合意形成を円滑にする可能性を秘めています。こうした多目的利用を促進するための補助制度や、熱供給事業に関する法制度の整備・明確化も重要な政策課題です。
結論:政策課題克服が地熱発電の未来を拓く
日本の地熱資源は、エネルギー自給率向上とエネルギー安全保障強化に大きく貢献しうる潜在能力を有しています。しかし、その開発を加速するためには、温泉法や自然公園法をはじめとする既存の法規制・制度に起因する課題を克服することが不可欠です。
これらの課題解決に向けた政策的な取り組みは進められていますが、更なる規制の合理化、手続きの簡素化・迅速化、そして何よりも地域との信頼関係構築と円滑な合意形成を支援する仕組みづくりが求められています。科学的根拠に基づいた影響評価手法の確立、情報公開の徹底、多目的利用を促す制度設計などが、今後の政策検討において重要な視点となるでしょう。
政策当局は、エネルギー安全保障、環境保全、地域振興といった多様な視点を統合し、地熱発電開発における法的・制度的ハードルを効果的に低減するための戦略を策定・実行していく必要があります。これにより、国内の優れた地熱資源を最大限に活用し、日本のエネルギーシステムのレジリエンス強化と持続可能性向上に貢献することが期待されます。